2020年3月15日日曜日

絶望と同居

未知のウイルスによって世界はとてつもなく混乱しているように見える。
ネガティブなことには出来るだけ触れたくない。殊に音楽家はとりわけ苦境に立たされている気がしてならない。から尚更。
避けていても日々絶望が隣り合わせにいる。

この数週間はいつにも増して、なぜ自分が音楽をやっているのか、
自分は音楽家と定義される資格があるのか、という疑問が頭の中を急回転している。
ずっと音楽を通して社会に対して何ができるか、どう貢献できるかを考えながら生きてきた。演奏の向こう側を、読後感ならぬ聴後感を失わないようにしてきた。

核となっていたのは"寛容の共有"を伝えることだった。
夢のように思われるかもしれないが、自分の楽曲、演奏が聴いている人に伝わることで寛容性が伝播することを目指して、信じて生きてきた。音楽に触れた後、ひとに優しくしたくなるような気持ちになって欲しいと。

それがこの有事に直面し、似たような有事と言えば2011/3/11の震災後が浮かぶが、
天災でなく、3/11よりも多い"人災"としか思えない局面に触れるたびに
これは自分だけはその"人災"の中に居ない、自分だけは大丈夫、デマにもしっかり対処できてる、相変わらず他人を思いやれている。そんな風に自己防衛を一通り終えると
こんな人災にまみれた社会にしてしまった自分自身に負い目を、力量不足を感じるようになった。
音楽家の勤めを全く果たせてこれなかったんだ、という事実を突きつけられたとしか思えなくなった。

かと言って"人のため"に演奏してきた訳ではない。
上に挙げた伝えたいこと、と自分がやるべきことは直接リンクはしない。時に演者にとって利己的な音楽であっても、それが他人のフィルターを通じたときに癒しになることがある。あまりに簡単な例えだけど。その意味で今まで"寛容の共有"という核は失われないけれども、自分のためにしか演奏してこなかった。という矛盾した生き方をしてきたことの意味も考えさせられる。

音楽にそこまでの力が無い。それはお前の単純な実力不足。そう言われればそれまで。
けれども自分は音楽に変わらされたし、音楽家である以上受けた恩恵そのままを伝える義務がある。
実力不足は認めるべきだけど、音楽自体に秘められた作用は否定したくない。
自分に何かを伝えるだけの資格があるのか、手段として音楽に触れ続けていいのか。
こんな自身の根幹が問われ続けてる状況は絶望と言うしかない。音楽に依存しすぎた自分にも驚かされた。

きっとここまで自分の弱みを表現する必要なんてない。
それでももし、同じような葛藤の中に誰かがいたら、得体のしれない絶望に立ち向かえるきっかけになるかもしれないと思って書き起こしてみた。発表する前提で書いているうちに、自分を整理することができた。

自分が知る限りのライブハウスはどこもこの逆境のなか、数か月前では考えられないくらい清潔な空間を保つことで音楽を支えてくれている。無論、数か月前は不潔だった訳では毛頭ない。どこもかしこもある程度の人数が集まった時の感染源にならない為の最善の策を講じている、ということ。未知に立ち向かうための出来得ることを果たしているということ。
そうやってライブハウスが、必死になって保ってくれているからには
絶望と話し合いつつ、今まで通り信じたことを表現するしかない。絶望を前にして立ち尽くすだけでは終わらない。自分が自分たる問いを続けていく。
そう秘めている仲間がたくさんいると信じている。もし仮にいないとしても、乗り越えて表現するしかない。向こう側を。そんな孤独とも付き合わなければいけない。
だから絶望に押し殺されてしまわない限り、いつも通り表現を、発信を続けます。

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